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考えよう
明日から、京都に行ってきます。
息子と、妹親子を連れて。ほんの一時ですが。
一連の水汚染騒動、放射能物質もれ、余震・・・
そのほかもろもろから、ひとまず避難します。

すっかり自分を見失っているわたしに、京都の知人が声をかけてくれました。
少し甘えて、お世話になってきます。

これといって、大きな被害もない私の周辺。
ひと駅となりでは液状化で大変なことになっていますが、
ギリギリなにも問題ありません。
気がつけば、普通の生活。
何も無かったかのような。

今は、それがとても恐ろしいのです。



何も無かった訳がなく、今も大変な思いで日々、なんとか過ごしている人たちがいて、こうしている間も原発による放射能汚染は進んでいて、目に見えないものとの戦いがあり、明日がきちんとやってくるのか、疑う事が決して大げさではない毎日。

なのに、私はどんどんと鈍っていくのです。
危機意識がにぶり、想像力がにぶり、恐怖心だけがのこり。
鈍った方が、楽だから。


友人は、地震当時、東京湾沿いの駅のホームいました。
3才と1才の子供と、3人で。
立っていられないほどの揺れがあり、津波警報が鳴り響き、「すぐに避難してください」とアナウンスがあったそうです。
大きな揺れの中、子供二人を抱きかかえ、ベビーカーと荷物を持つ事が出来ず、周辺の人に助けを求めて叫んだのに、男性たちは誰一人助けてくれず、のんきに地震の様子を携帯で撮影していたそうです。

同じ子供連れの女性に助けてもらいなんとか避難出来たようですが、私はその話を聞いて心の底からぞっとしました。

そこでは津波もなく、結果として誰ひとり命を落とす事も無かった訳ですが、その想像力のない鈍った男性たちと今の自分は同じだと。

今のままでは、私は息子を守れないと、心底ぞっとしたのです。


少し渦中から逃れ、じっくりと考えてみたい。






( 2011.03.28 ) ( 日々のこと ) ( TRACKBACK:0 )
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